橙橘初咲霍公鳥飜嚶 對此時候タ不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳
あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし
霍公鳥何の心ぞ橘の玉貫く月し来鳴き響むる
霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持
先日は弟、書持からの便りがあって、久しぶりに平城の都のことを思い出した。そこに残してある家族のこと、恋人、坂上大嬢のこと、懐かしく思い出されたものである。しばしの間と思っていた行幸が、思いもよらず遷都という次第にあいなって、我が家には帰れそうもない。我が心はひたすら平城の都にむかうのみである。望郷の念は募る・・・我が家のある佐保よりもまだ山深きこの恭仁の地は、今、まさに春から夏へと季節は移行しつつある。そんな私の仮住まい宿に霍公鳥がやってきて啼いた。霍公鳥は・・・いや、霍公鳥だけでなく鳥類は家人の思いを運んでくれるものと聞く。してみれば、かくのごとく霍公鳥が我が宿の近くで啼いているという事は、それだけ家人や坂上大嬢が私のことを恋い慕ってくれているのか・・・想いは私もそれにひけはとらない。それにしても「橙橘の花々が今年初めて咲いて霍公鳥(ホトトギス)は飛び交い盛んに啼いている」ような麗らかでのどかな季節に私の心がこのように結ぼれてしまうのは、それだけが理由ではない。それはおそらくは私の生来のものと考えたほうがいいのかもしれない。
そして・・・その結ぼれた心・・・「いぶせき」心を晴らしてくれるのは、歌を詠むことしか・・・私にはない・・・
最後に、題詞がお分かりになりにくい方、下を参考にしていただきたい。
橙橘の花々が今年初めて咲いて霍公鳥(ホトトギス)は飛び交い盛んに啼いている。このような麗らかな季節にあたって、どうして我が心根をのびのびとさせないでいられようか。そこで三首の短歌を作り、結ぼれた我が思いを晴らそうとするのである。