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平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首

平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首

君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも

須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも

ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ

なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし

隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく

草枕旅にしばしばかくのみや君を遣りつつ我が恋ひ居らむ

草枕旅去にし君が帰り来む月日を知らむすべの知らなく

かくのみや我が恋ひ居らむぬばたまの夜の紐だに解き放けずして

里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし我れぞ悔しき

万代に心は解けて我が背子が捻みし手見つつ忍びかねつも

鴬の鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ

松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ

右件十二首歌者時々寄便使来贈非在一度所送也

二首の歌は折りにふれ、使いによせて贈ってきた歌である。一度に送ってきたものではない。私は内舎人であった頃、多くの女性と知り合うことが出来た。どの方も機知に富んだ教養豊かな・・・そして美しい女性ばかりであった。まだ若かった・・・今もそうふけこんでいるわけではないが・・・私にはまぶしい女性達ばかりであった。そして、そんな方々といくつもの歌を交わしたものだ。そして、そんな歌の一つ一つを私の歌巻のあちらこちらに・・・その歌のふさわしい場所に配置した。どれもこれも捨て去るには惜しいものばかりであるからだ。

ただ、ひとつ気がかりがある。それらの歌のどれもが全て恋歌仕立てになっていることだ。私の歌巻きを見る機会を得た後の世の人々が、この私が、かくも多くの女性との遍歴があったのではないかと誤解するかも知れないとの危惧が残る。それは、私だって相応の年齢の男だ。私たちの時代のならいとて、妻以外にも幾人かの女性と関係を持ってもそう責められることではない。かといって、これらの女性と全て関係を持っていたと考えられてしまうのはいささか心外だ。「基本的には」私が、二十二歳の時(天平十一年)に失った女と、そしてこの度、正式に妻として迎えた大伴坂上大嬢以外には心を寄せたことはない・・・・

・・・とはいっても、若かった頃のこと、少しは他の女性に心を動かしたこともないではない。・・・上に「基本的には」と書いたのもそれが為ではあるが・・・それにしても、歌巻の見られる女性の全てとそのような関係にあったわけではない。そのほとんどは「風雅の友」・・・とでも言うべき関係にあった。今更、こんな事を書いても信用してもらえないかも知れないが、これらの女性達の多くとは仮想の恋の上に歌を交わし、互いに歌詠すること自体を楽しむ・・・そんな関係であったのだ。

もちろん、どの方とが「風雅の友」であり、どの方とがそうではなかったとここに書くわけには行かない。それこそ野暮というものであろう。ただ、この平群氏女郎とは、その前者の関係であったことはここで明らかにしても差し支えなかろう。そんな関係だからこそ、この十二首に対してはあえて返歌を贈ることはしなかった。私はただ彼女の恋の物語をその歌を通じて楽しむ・・・それだけでよかったのだ。変に返歌などしようものなら、この女郎に変に思われてしまう。

ところで、この十二首だが左注にも書いたように、一度に贈ってよこされたものではない。四首ずつ、三度に分けて女郎が贈ってきたものだ。まず最初の四首、「龍田山」が上の句のとの続きで「名が立つ」の意味を持ち、下の句とのつながりで「恋を断つ」の意味になる。非常に巧妙な言葉遣いだ。そして後の三首は古歌の言葉を用いて別れて後の恋情の高まりを予想している。「見ず久ならば」との句がそれを知らせてくれる。

続いて次の四首、最初の一首は古歌をそのままに使っている。そして後の三首にて自らの言葉で離れて暮らす辛さ、そして再開を願う心根を述べている。

最後の四首、先の二首が男との逢瀬があった頃を懐かしむ心、続く二首がその男を待ちわびる気持ちを述べる歌となって一連の歌群を終結させている。

それぞれの、四首が意図的にに構成され、そしてその三つの歌群が緊密に関連を持ち合っている。まるで、一人の女の独白を時間を追って見せられているような・・・そんな思いにさせてくれる完結された物語だ。もはや、私の拙い歌を差しはさむ余地はない。私が返歌をなさなかった由縁である。私はただ都からの使いに託され送られてくる女郎の歌を、物語の続編を待つ一読者のように待っているだけであった。