掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首
霍公鳥今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験あらめやも
右一首田邊史福麻呂
木の暗になりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時
右一首久米朝臣廣縄
霍公鳥こよ鳴き渡れ燈火を月夜になそへその影も見む
可敝流廻の道行かむ日は五幡の坂に袖振れ我れをし思はば
右二首大伴宿祢家持
前件歌者廿六日作之
いよいよ福麻呂殿の帰京が明日にと迫った今日の日、今回の一連の宴の幹事役を務めてくれた廣縄殿のお宅にて最後の送別の宴を催した。実直な廣縄殿は最後までよくその任を果たしてくださった。本来ならばこの日の宴も国守である私の館で行うべきもののはずではあったが、幹事役を見事に果たしてくださった廣縄殿のたっての希望もあり、今日は廣縄殿にお願いすることにした。
例によって最初は主賓である福麻呂殿の挨拶代わりの一首。期待に反して鳴くことのなかった霍公鳥を咎める歌だ。見ようによっては、その霍公鳥をうまく鳴かすことができなかった幹事を責めるような歌であり、廣縄殿には少々きつい歌ではあるが、よくよく読んでみれば、かくも懇切に宴席を手配した廣縄殿の思いに応えることなく鳴かなかった霍公鳥を責める内容になっており、決して廣縄殿を責める内容ではないことが分かる。それどころかそこまで心を尽くしてくれた幹事役に対して遠回しに謝辞を述べる歌のようになっていることは廣縄殿も充分に感じ得たであろう。その上で廣縄殿は、再度自らの不手際を、前日の私の歌を踏まえて詠んだのである。
そうなると上司の私としても儚い望みながら、ここで霍公鳥の声が聞こえて来ることを願わずにはいられなかった。それが三首目の私の歌である。今日三月二十六日は月の出も遅く、かなり遅くならなければ月は出ない。けれども福麻呂殿は明日御出立の身。そんなに遅くまでお付き合いいただく訳にはいかない。そこで燈火を月に見立ててみた。月と霍公鳥の組み合わせは私ももっとも好むもので以前、
ぬばたまの 月に向かひて 霍公鳥 鳴く音遙けし 里遠みかも
と詠んだこともある。春から夏にかけてのややおぼろな月・・・そして、その月明かりの中、いずことも鳴く聞こえて来るしみ通るような霍公鳥の声・・・歌材としてはこれに勝るもののない取り合わせであると私は確信している。さらにである・・・ここ廣縄殿の館はかつて池主殿が住んでいらっしゃった場所、平成の御代でいえば富山県高岡市伏木東一宮で、霍公鳥が渡ってくる際の通過点でもある。私がやや季節としては早いながらもその声を期待しない訳はない。
さて、最後の一首だ。幹事役は廣縄殿にお任せはしていたが、この越中の国守は私である。客人である福麻呂殿への主送りの歌を詠むのは私でなければなるまい。福麻呂殿がお帰りの際、きっとお通りになるであろう越前は敦賀の郡、可蔽流(鹿留)・五幡を詠み込んでお別れの歌とした。この辺りの峠を越えればもうそこは近江の地、都はほど近く、越中を含めた越の国とはそこが最期の場所となる。そんな場所で私たちのことを思い出して欲しいと歌ったのだ。「可蔽流み」という言葉に「帰る身」という意味をにおわせたのは、都に帰ることのできる福麻呂殿に対する羨ましさが多少あったのかも知れない・・・・