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昨暮来使幸也以垂晩春遊覧之詩

昨暮来使幸也以垂晩春遊覧之詩今朝累信辱也以貺相招望野之歌 一看玉藻稍寫欝結二吟秀句已除愁緒 非此眺翫孰能暢心乎 但惟下僕禀性難彫闇神靡塋 握翰腐毫對研忘渇 終日目流綴之不能 所謂文章天骨習之不得也 豈堪探字勒韻叶和雅篇哉 抑聞鄙里少児 古今人言无不酬 聊裁拙詠敬擬解咲焉 如今賦言勒韵同斯雅作之篇 豈殊将石間瓊唱聲極乏曲歟 抑小児譬濫謡 敬寫葉端式擬乱曰

七言一首

杪春餘日媚景麗 初巳和風拂自輕
来燕銜泥賀宇入 歸鴻引蘆迥赴瀛
聞君嘯侶新流曲 禊飲催爵泛河清
雖欲追尋良此宴 還知染懊脚跉趶

短歌二首

咲けりとも 知らずしあらば 黙(モダ)もあらむ この山吹を 見せつつもとな

葦垣の ほかにも君が よりたたし 恋ひけれこそば 夢に見えけれ

三月五日、大伴宿祢家持、臥病作之

昨日いただいた序文付きの漢詩、そして今朝いただいたお便りに対しての返信が、なんとか・・・本当になんとかではあるができあがった。その出来に関しては池主殿にご寛恕いただく他はない。なにしろ、あまり試したことのないの漢詩だ。自信はない。ごらんの通り平仄はもとより、押韻のほうも整ってはいない。けれども序文にも書いたように「古人は言に酬いずといふこと無しといふ」である。自信はなくともひと気張りしないではいられない。

「翰を握りて毫を腐し、研に対ひて渇くことを忘る。終日に目流して、綴れども能はず。」というありさまになろうことは、予想されたことであるが、今朝いただいた池主殿の一文に励まされ、恥をさらす結果になることを覚悟で取り組んでみた。「禀性彫り難く、闇神瑩くこと靡」きことを、あらためて実感させられてしまったというのが実情で、まさに「鄙里の小児」の勝手な口ずさみにしか相当しないような出来ではあったが、その出来はともかくとして、いささかながらの新工夫が無かったわけでもない。それは漢詩の三句目と四句目。池主殿は詩のこの部分を承けて考えたものであるが、池主殿のそれはここで「柳」と「桃」を題材として扱っていた。けれども、私はそれを直接は承けず、「燕」と「雁」を題材とした。池主殿の「花」に対して、私は「鳥」で承けたわけである。これは唐土において、六朝の頃からこういった詩文においてその題材に「花鳥」の双方を取り扱うのが流行になっていることを意識してのものだ。だから、私は池主殿のそれに欠けていた「鳥」を読み込むことによって、そこを補完しようと試みたのだ。

なおかつ、私は北に「帰る雁」をここで取り扱った。今まで和歌の世界においてあまり素材にはならなかったものだ。これも私の新たな試みといえる。風雅な素材として「花鳥」の取り合わせを意識すること・家人の使いとしてではなく、北に帰るものとして「雁」を歌うこと・・・これは、今後の和歌の世界の一つの指針になるのではないかとひそかには自負しているところである。その点に免じて、池主殿には詩文の不出来はお許ししていただくこととしよう。

ところで、序文の最後の方に小字で記した一節がある。実はこの部分は、私の初案で、池主殿に贈ったのはそれを除いた部分のみだ。どうにもごちゃごちゃした文になってしまったのと、「豈石を将ちて瓊に間ふるに殊ならめや」という一節が先日の手紙で既に使ってしまっていたのとで、上のように改めたのであるが、自分の文章の生成の過程を記録しておきたいとの思いもあり、この私の手元の資料では、決定稿の後に上記のように小さく初案を書き添えておいた。

さて和歌についてだ。池主殿の長歌は先日も書いたように、その前の私の贈った長歌に対して、これぞ返歌の鏡というべきほどに、私の歌の語句に対して逐一応じた歌いぶりであったので、今回私としてはこれ以上述べることはない。しかしながら、池主殿はその長歌の最後に私を野遊びに誘って下さっている。このことに対しては、漢詩の最後の部分でもお答えしたが、和歌としてもお答えしなければならないと思う。くわえて、この手紙に添えて、池主殿は出られない私を思い、山吹の花まで添えて下さった。そこで短歌の二首をもってこれに応えることにした。

一首目は私の歌巻(万葉集)の巻の十におさめた古歌を流用させていただいたもので、「秋萩」を「山吹」と入れ替えただけのものである。まだ充分に病の癒えていない私に「山吹」を見せたりしたら、かえって辛くなるだろうとの少々恨み言めいた歌だ。池主殿はその長歌の最後を「ことはたなゆひ」と少々ふざけた形で私を野遊びへと誘ってくれた。これが、まだそのことが出来ない私に対する思いやりであることは言うまでもない。あまり生真面目に誘われたならば、かえってそれが私に負担になってしまう事をご理解されての表現だ。である以上私も少々ふざけてこれに返答するのが礼儀というものであろう。だから、あえて古歌の語句を入れ替えた恨み言めいた歌を詠んだ。池主殿ならば、それがその長歌末部のおふざけに対応してのものである事はきっとご理解いただけるものと思う。もちろん、それだけでは池主殿のお誘いに対して充分に答えにはなっていないので、二首目は少々真面目に一連のお誘いに対しての謝意を詠み、結びとした。

あと少しすれば、私の体も全快ということになろう。そうしたならば私も初めての越中の春を存分に楽しんでみたいと思う・・・が、そうなったならばそうなったで私にはしなければならないこともある。おまけに長く休んでいたせいで、たまりにたまった仕事もそのままにしてはおけない。どうやらこの春は、このまま終わってしまいそうだ。池主殿とこうやって詩文、和歌のやりとりを出来たと言うことだけが、唯一の収穫と言うことになるのだろうか。

<補>

またまた蛇足である。これもまた念のため・・・

昨暮の来使は、幸(サキハ)ひに晩春遊覧の詩を垂れ、今朝の累信は、辱なくも相招望野の歌を貺(タマ)ふ。一たび玉藻を看て、稍(ヤクヤ)く鬱結を写(ノゾ)き、二たび秀句を吟じて、已に愁緒を蠲(ノゾ)く。此の眺翫にあらずは、孰(タレ)か能く心を暢(ノ)べむ。但惟(タダシ)下僕(ワレ)、禀性彫(ヱ)り難く、闇神瑩(ミガ)くこと靡(ナ)し。翰を握(ト)りて毫を腐(クタ)し、研(ケン)に対(ムカ)ひて渇くことを忘る。終日に目流して、綴れども能はず。所謂(イハユル)文章は天骨にして、之を習ふこと得ず。豈(アニ)字を探り韻を勒して、雅篇に叶和するに堪(ア)へめや。抑(ソモソ)も鄙里の小児に聞こえむ。古今、人は言に酬いずといふこと無しといふ。聊(イササ)かに拙詠を裁(ツク)り、敬みて解咲に擬す。如今(イマシ)言を賦し韻を勒し、この雅作の篇に同ず。豈石を将ちて瓊(タマ)に間(マジ)ふるに殊ならめや。声に唱へ走(ワ)が曲を遊ぶといふか 抑(ハ)た小児の濫りに謡ふが譬(ごと)きか。敬みて葉端に写し、式(モチ)て乱に擬ひて曰く

昨夕のお使いでは、幸いにも晩春遊覧の詩を下さり、今朝の重ねてのお便りでは、有り難くも野遊びへのお誘いの歌を賜りました。ひとたびご高作を拝見しては、鬱々と結ぼほれた魂も次第にほどけ、続けて秀歌を口ずさめば、もはや愁いに沈む心も除かれました。このような叙景の詩歌でなくして、いったい誰が心を晴らすことができるでしょうか。ただし小生、生まれつきの乏しい素質は鍛錬のしようもなく、暗愚な心は磨こうにも磨きようがありません。筆を取っても文が書けず、空しく筆先を腐らせてしまい、硯に向かっても書きあぐねて、硯の水が乾くのを忘れてしまう有り様でございます。一日中、周囲に目を遊ばせるばかりで、文を綴ろうとしてもどうにも綴れません。いわゆる文章の才能というものは生来のものであって、習って得られるようなものではございません。字を探し、韻を整えて、貴兄の雅趣あふるる詩に唱和することなど、どうして出来ましょうか。村里の小児の口ずさみに聞こえましょう。とはいえ、昔のひとは、人は贈られた文章には必ず答えるものであると言っています。そこで拙い詩を作り、謹んでお笑いの種に供する次第にございます。今、詩を作り韻を整えて、貴兄の風雅な御作に唱和致します。石を玉にまじえるとのたとえとなんの変わりがございましょう。声を張り上げては自分勝手な歌を歌っているかのようです。さしずめ小児の出まかせ歌にもたとえられましょう。ともあれ、恐れ多いことではありますが、この拙作を謹んで紙片に書き記し、乱・・・締めくくりの詞・・・の真似事といたします。

杪春(ベウシユン)の餘日媚景は麗しく
初巳の和風は拂ひて自らに輕(カロ)し
来燕は泥(ヒヂ)を銜(フフ)みて宇(イヘ)を賀(ホ)きて入り
歸鴻は蘆を引きて迥(ハロ)かに瀛(オキ)に赴(オモブ)く
聞くならく君が侶(トモ)に嘯(ウソブ)きて流曲を新たにし
禊飲に爵(サカヅキ)を催(ウナガ)して河の清きに泛(ウカ)べつと
追ひて良き此の宴を尋ねんと欲(ホ)りすれど
還りて知る懊(ヤマヒ)に染みて脚の跉趶なることを(「趶」・・・正しくは足偏に「丁」)

暮春ののどかな一日、うららかな景色が美しく、初巳(三月の最初の巳の日)の柔らかな風は地にふれて自ずから軽やかに吹きすぎて行きます。
南より飛び来たった燕は泥を銜え祝福し家の軒に入り、北に帰る雁は蘆の葉をくわえ、遥か遠く沖へと去って行きます。
聞けばあなた様は友と語らい詩を吟じ、曲水の流れを新たにして、
みそぎの酒宴に盃を急き立てて清流に浮かべられたとのこと。
後を追ってこの良き宴の仲間入りをしたいとは思いますが、
病のために足がふらつくこともまた思い知りました。

七言、晩春三日遊覧一首

七言晩春三日遊覧一首 并序
上巳名辰暮春麗景 桃花昭瞼以分紅柳色含苔而競緑 于時也携手曠望江河之畔訪酒迥過野客之家 既而也琴罇得性蘭契和光 嗟乎今日所恨徳星已少歟 若不扣寂含章何以攄逍遥之趣 忽課短筆聊勒四韻云尓

餘春媚日宜怜賞 上已風光足覧遊
柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟
雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縦酔陶心忘彼我 酩酊无處不淹留

三月四日大伴宿祢池主

昨日、序文を併せた長歌を書簡として池主殿のもとに贈ったばかりなのに、もうその返事が来た・・・と思い、喜び勇んで封を切ったけれども、どうやらこのご返事は私の書簡とは入れ違いに贈られてきたらしい。そこに記されていたのは、上掲の序文を併せた漢詩であって、私の贈ったものに応えた内容ではなく、昨日池主殿たちがお出かけになった上巳の吉日の遊覧についての内容であった。

それにしても、本当に楽しい一日をお過ごしになったように見える。病で寝込んでいたせいで、ついついこう言ったことに気が回らずにいたが、そういえば昨日は三月三日、上巳であった。古く唐土の国で始まったというこの行事は、もともと暮春三月の最初の巳の日に身の汚れをそそぐ習慣から始まったらしい。いつのまにかそれが三月三日の日に行うものと定まり、風雅な遊びを伴うものとなった。我が国においても文武の帝の御代あたりから定着し、都ではこの日曲水の宴を催すことがならいとなっている。もちろん、ここは越中。曲水の宴を行うような場所はなかろうから、池主殿たちはどうやら連れだって野遊びをしていたらしい。

どんな楽しい一日をお過ごしになったのかと思い、少々うきうきとした気分で読み始めたところ「桃花は瞼を昭らして紅を分ち」の部分が少し気になった。遊仙窟あたりで桃の花が「臉(ホホ)」に照り映えるというような表現は目にしたことはあるのだが・・・・「瞼(マナブタ)」とは・・・池主殿の工夫なのだろうか。それとも、私の目にはこの文字の篇が「目」に見えるのだが、ひょっとしたら「月」なのかもしれない。・・・このあたりはご本人に聞いて見ねばなるまい。いずれにしろ、よく文意は通じているし、作の良し悪しに関わるものではない。ただ、桃はこの越中あたりには見られないものであるから、池主殿は都の様子をご想像になってこう書かれたのだろう。その後に柳のことが書かれているから、ここにどうしても桃は出てこなければならないだろう。それゆえ、この柳と桃の対は詩の中にも用いられている。

それにしても「酒を訪ひ野客の家に逈く過る」とは、なんともしゃれた趣向だ。こんな所に「野客(隠者)」などおるまいに、さしづめこの日の一同のどなたかを「野客」に擬え、そこで一献傾けたことをこのように表現したのであろう。そのような場においてであるから、「蘭契光を和げたり」の一節も効いてくる。世に隠れ住む賢者たちが、その光(学才・徳)をひけらかさずに和やかに交わりあっている様だ。そんな「賢者」たちが私のことを「徳星(君子)」と呼んでいるのだから、恐れ入ってしまう。なんとももったいないお声かけであることか・・・私としても出来ればその場に居合わせたかったもの。かえすがえすも残念でならない。
そして私を何よりも驚かせたのはこの池主殿の漢詩である。何ともまあ見事に韻を踏んでおられることか・・・。「遊」「舟」「流」「留」の四文字、韻のつながりだけではなく、その意味においてもよくよく字を選んでいるようにさえ思われる。これまでのやりとりの中で文をお作りになる力量については充分に知っていたつもりではあったが、詩の方のお力もこれほどのものとは思ってはいなかった。昨日の楽しい遊覧の様子が目を閉じれば浮かんでくるようだ。

「柳陌は江に臨みて袨服を縟にし」のあたりは暖かい春風に柔らかく揺れる柳や、その下に集うご一同の晴れやかなお姿が彷彿とされる。「桃源は海に通ひて仙舟を泛ぶ」については、寡聞にして桃源郷が海に通じるなどという文や詩は今まで見たことがない。ここはおそらくこの越中の地形を表現したものであろうか。春のうららかなこのあたりの風景がご一同には桃源郷に続くもののように感じられたのであろう。それにしても池主殿も想像力が逞しい。曲水もあるわけではないのに「羽爵人を催して九曲を流る」とは・・・上巳というこの吉日、想像の世界だけでも、その風雅を味わおうとでも言うのだろうか。実際にその場に居合わせなかっただけに、この仮想の曲水が、私には現実の曲水のように思われてならない。「縦酔陶心彼我を忘れ 酩酊し処として淹留せずといふこと無し」のあたりは、思わず吹き出しそうになってしまった。酒によいくだを巻いているご一同のお姿が眼前のもののように思えて仕方がない。

この楽しい集いに参加できなかったことはなんとも残念で仕方がない。けれども、こうやって序文と詩を読ませていただき、なにやら私もその場にいたような楽しげな気分になれたのはありがたい。池主殿のお気遣いには本当に感謝してもしきれない。これはこのまま貰いっぱなしにしておくことは出来ない。なんとしてもお返しせねばとは思うが、これまで漢詩などはあまり作ったことはない。池主殿の作に見合うだけのものができるかどうか、はなはだ心許ない。とはいえ、何事も始めてみなければことは始まらぬ。さて、早速とりかかるとするか・・・

<補>

少々くどくはなるが、念のために・・・

七言の詩、晩春の三日の遊覧の一首 序を併せた
上巳(ジャウシ)の名辰は、暮春の麗景なり。桃花は瞼(マナブタ)を昭(テ)らして紅を分ち、柳色は苔を含(フフ)みて緑を競(キホ)ふ。時に、手を携はり江河の畔を曠(ハル)かに望み、酒を訪(トブラ)ひ野客の家に逈(トホ)く過(ヨキ)る。既にして、琴罇性を得、蘭契(ランケイ)光を和(ヤハラ)げたり。嗚呼、今日恨むるところは、徳星すでに少なきことか。もし寂を扣(タタ)き章を含まずは、何をもちてか逍遙の趣を攄(ノ)べむ。たちまちに短筆に課(オホ)せて、いささかに四韻を勒(ロク)すと云爾(シカイフ)。

三月三日の吉日、暮春の麗しい風景です。桃のは見る人の瞼もあかあかと照り映え、柳の色は苔を含んで、その緑を色の鮮やかさを競い合っております。この時に、友と手を携えて川のほとりを遥かに望み、酒を求めて遠い隠者の家を尋ねます。こうしてもはや琴と酒は存分に本性を発揮し、蘭の花の香のように清い賢者の交わりを和やかに結んでおります。ああ、今日残念なことは、あなた様がいらっしゃららないことです。もし詩文を作るのでなかったならば、どうして今日の逍遙の趣を述べることが出来ましょう。たまたま拙い筆に命じて、いささか四韻の詩を作ったという次第にございます。

余春の媚日(ビジツ)は怜賞するに宜(ヨ)く
上巳の風光は覧遊するに足る
柳陌(リウバク)は江(カハ)に臨みて袨服(ゲンブク)を縟(マダラカ)にし
桃源は海に通ひて仙舟を泛(ウカ)ぶ
雲罍(ウンライ)桂を酌みて三清を湛(タタ)へ
羽爵(ウシヤク)人を催(ウナガ)して九曲を流る
縦酔(シヨウスイ)陶心彼我を忘れ
酩酊し処として淹留(エンリウ)せずといふこと無し

暮春の麗らかな日は賞美するによく、三月三日の風光は遊覧するにふさわしい。
柳の並木は川沿いに伸びて、人々の晴れ着をまだらに彩り、桃源郷は海に通じていて仙人の舟を浮かべている。
雷雲の形を刻んだ樽に桂酒を酌めば美酒が満ち、鳥の翼を象った酒杯は人に詩作にとせきたて、曲がりくねった岸辺を流れて行く。
思うがまま酔いしれて何もかも忘れ、酩酊して行く所々で足を留めないことはない。