哀傷長逝之弟歌一首 并短歌
天離る 鄙治めにと 大君の 任けのまにまに 出でて来し 我れを送ると あをによし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に ま幸くて 我れ帰り来む 平らけく 斎ひて待てと 語らひて 来し日の極み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔りてあれば 恋しけく 日長きものを 見まく欲り 思ふ間に 玉梓の 使の来れば 嬉しみと 我が待ち問ふに およづれの たはこととかも はしきよし 汝弟の命 なにしかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出づる秋の 萩の花 にほへる宿を 言斯人為性好愛花草花樹而多植於寝院之庭 故謂之花薫庭也 朝庭に 出で立ち平し 夕庭に 踏み平げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末に 白雲に 立ちたなびくと 我れに告げつる 佐保山火葬 故謂之佐保の内の里を行き過ぎ
ま幸くと言ひてしものを白雲に立ちたなびくと聞けば悲しも
かからむとかねて知りせば越の海の荒礒の波も見せましものを
右天平十八年秋九月廿五日越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪感傷作之也
八月七日のあの宴の後、大伴池主殿は程なく都へと向かった。八月の三十日が各国からのその年の地方台帳の提出期限だからである。そして、九月を迎え、信じられない知らせが、都より私のもとへと届いた。あの書持(フミモチ)の・・・弟の書持の死を告げる知らせだ。去る九月五日、書持はその短い命を終えた。知らせを受けた当初、取り乱した私は、事の次第を受け止めることが出来なかった・・・というよりは、受け止めようとしなかった。遠く離れた都での出来事である故に、この悲しき知らせが事実と受け取ることが出来なかった。
しかし、その死より三七、二十一日を迎えた今日にいたり、取り乱していた私の精神も次第に落ち着きを取り戻し、この認めたくはない事実を、認めなければならないと思うようになった。そうでなければ・・・私がその死を受け止めてやるのでなければ、書持の御霊も浮かばれぬというもの・・・私はこの悲しみを歌にすることにした。それがこの三首である。
つい二ヶ月前、私は泉川で弟と別れた。書持はわざわざ平城の都から山を越えたところの泉川(後に木津川と呼ぶようになった)のほとりまで送ってくれた。幼い頃から余りからだが丈夫ではない弟であった故、私は言葉の限りを尽くし、身体をいたわるように彼に言って聞かせた。けれども、それから二ヶ月が過ぎて私の元についたのはかくも悲しき知らせであった。「およづれの たはこととかも」以下は直接、我が弟に語りかけるつもりで歌った。「何故に・・・お前は、私を置いて長い旅に出てしまったのか・・・」。抗議にも似た言葉をそこに連ねた。これは、人の死を悼む挽歌においては常套的な決まり文句ではあるが、こう言わずには居られないのが、親しい者を失った者の心情だ。私とて、その例外ではない。こう歌わずには居られなかったのだ。そして、長歌の最後の語句を承けて、
ま幸くと言ひてしものを白雲に立ちたなびくと聞けば悲しも
との反歌を詠み、いったんは歌い終えた。しかし、思いの全てをはき出した後、ふと次の一首が脳裡に浮かんだ。
悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを(巻五)
山上憶良殿が妻(私から見れば義母)を亡くした、父、旅人に捧げた歌だ。憶良殿は父の思いに自らの思いを重ねかく詠んだ。
私とて思いは同じだ。こんなふうになるんだったら、越中のこの美しい風景の全てを見せたかった。弟は大和から余り離れたことはなく、海というを見たことはなかった。そして詠んだのが二つ目の反歌、
かからむとかねて知りせば越の海の荒礒の波も見せましものを
である。
この歌を詠んだのは、何も自らの悲しみを癒やすだけのためではない。このやりきれぬ思いを誰かと共有したいとの思いもあった。心通い合う誰か・・・そんな人々と、この悲しみを共有することが出来れば少しは我が悲哀を紛らわせられようと言うもの・・・私の胸中には、この越中の人々・・・過日、あの宴にて心通わせた人々の顔が浮かんだ。とりわけ、池主殿・・・彼は今、大和にいる。弟の死についてのあれこれを聞き及んでいるに違いない。彼が大和より帰ってきたならば、その仔細を語って聞かせてくれるであろう。その時、私は自らの思いを皆に披瀝しよう・・・そう思ったのだ。彼らなら・・・なかでも、池主殿ならば、きっと我が悲哀を受け止めてくれよう。そして、そうすることが書持に対しての一番の供養になるのではないかと思う。
ところで、歌中に
- 言斯人為性好愛花草花樹而多植於寝院之庭 故謂之花薫庭也
- 佐保山火葬 故謂之佐保の内の里を行き過ぎ
と二つの傍注をつけた。これは、書持の事をよくは知らないであろう方々の事を配慮してのものだ。本来ならば、そのような事柄も歌中に散りばめ、このような傍注をつけないのが理想であろう。しかし、今の私にはそこまでの力は無かった。ただ恥じ入るのみである。