カテゴリー別アーカイブ: 天平二十一年

越中守大伴宿祢家持報歌并所心三首

越中守大伴宿祢家持報歌并所心三首

天離あまざひなやつこ天人あまひとしかく恋すらば生けるしるしあり

常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ばになひあへむかも

別所心一首

(あかとき)に名告り鳴くなる霍公鳥(ほととぎす)いやめづらしく思ほゆるかも

右四日附使贈上京師

右の歌 四月四日に京師(みやこ)に上る使いに附した。 先日、都の義母(叔母でもある)よりいただいた歌は諧謔に富んだ、しかも離れて暮らす私に対する思いの溢れる二首であった。諧謔に応うるには諧謔を以て、というのが礼儀というものであろう。そんな意図の元に最初の二首は詠んだ。

一首目、「鄙の奴」とは私にこと。「天人」とはもちろん義母のことである。この国にあって、都は天上界のごとく尊い場所。であるなら、そこに住まいする義母は「天人」に違いあるまい。先日の義母の歌に私のことを「常人」と詠んでいたところに、ちょっと絡んでみた。四句目に「かく恋すらば」とあるのはあまり聞き慣れない物言いだがその意は「かく恋すらむは」と同じ。この場所での字余りは少し体裁が悪いのでこんなふうにいってみた。

二首目、義母のいうところの「常人」の恋でさえこの私の肩に重くのしかかっているのに、その上、荷馬でさえ背負いかねるような恋まで都から送り届けられてきたらこんな私にはとても背負いきれるものではないとふざけ返してみた。

さて、三首目であるが、これは贈られて来た歌に対して忠実に応えるという礼儀を果たした後、今の私の思いを詠んでみたものだ。せっかくへの都への使いに附する手紙だ。送られた歌に対して返答しただけであっては、応えるということがいかにも義務的に見えてしまう。先月の池主殿への返歌もそうであったように、歌を贈ってくださった相手には今の自分の思いを伝えるということは・・・特にこうして離れて暮らし、頻繁にやりとりが出来ない場合は・・・大切なことだと私は思う。

ところでこの歌において「霍公鳥」を「名告り鳴く」鳥と規定した。夜といわず昼といわず自らの所在を告げるかのような声で鳴き続ける様をこういったのであるが、認識としてはこれまでも「霍公鳥」は「名告り鳴く」鳥ではあった(近江の御代の頃からかと聞いている)が、これを歌に詠み込んだのは私の新工夫だ。平城の御代に時代にはあまりこれに同調なさる方もなかったが、平安の御代にいたって同じように歌に詠む方が多く現れてきたと聞く。創案者としてはちょいと鼻が高い・・・・

姑大伴氏坂上郎女来贈越中守大伴宿祢家持歌二首

姑大伴氏坂上郎女来贈越中守大伴宿祢家持歌二首

常人つねひとの恋ふといふよりはあまりにて我れは死ぬべくなりにたらずや

片思かたもひを馬にふつまにほせ持てこしに遣らば人かたはむかも

()とは妻の母、或いは父の姉妹をさす語。叔母であり、かつ妻の坂上大嬢の母でもある坂上郎女をさすにふさわしい語だ。先日の池主殿の書状をもたらした使いが、この懐かしい叔母の二首をももたらしてくれた。

一首目。叔母の私を思う恋心は他の人の比ではなく、その思いの深さに今にも死にそうだといっているのであるが、この大げささがいかにも叔母らしくて思わず笑みが浮かんでしまう。

二首目に至っては大笑いだ。自分の片恋の想いは、この越中への使いの馬にも乗せかねるほど重く、誰かその助けをしてくれぬか・・・などとはよく言ったものだ。

恋歌仕立てのこの二首は、その大げささから一見冗談とも受け取れるような作にはなっているが、その奥底に遠く離れて暮らす甥の私に対する深い想いが感じられる。さらには健気にも一人家を守り、弱音を私には示さぬように努めている我が妻の大嬢の心情をも代弁してくれているのだとも思う。我が歌の師の一人でもある叔母、往年の才媛「大伴坂上郎女」の面目躍如といった風情の才気あふれる作だ。 私とて平城の地に残してきた妻や子、そして叔母をはじめとした一族の人々を思わぬ日はない。

くわえて、大伴家の嫡流の血を受け継ぐ者として都を離れていることに不安が無いわけではない。けれども、このような叔母が(いえ)()()として大和の地にひかえてくれていることはまことに心強い。それでこそ安心して公務に専念できるというものだ。 次の都への使いは四月に入ってからだ。それまでに私もこの二首に応えるにふさわしい歌を作っておかなければならない。

越中國守大伴家持報贈歌四首

 越中國守大伴家持報贈歌四首

一 答古人云

あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ

一 答属目發思兼詠云遷任舊宅西北隅櫻樹

我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね

一 答所心即以古人之跡代今日之意

恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり

一 更矚目

三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ

       三月十六日

池主殿からの書状は三月十五日と日付があったが、私の手元に届いたのは、今日、十六日である。この越中との国境の深見村から、この越中国府までの道のりを考えれば、至極当然のことではある。おそらく池主殿は駅使の警護見送りのため深見村までやってきていたのであろう。そして国境の山々を見晴るかしながら、そのこちらにいる私に思いをはせてくれたに違いない。 深見村から越前国府まで戻る道のりは、同所からこの越中国府までの道のりの三倍・・・・さぞや、越中に・・・との思いは強かったに違いない。そのことを承知の上で私は少し池主殿を困らせることにした。

一首目は池主殿の一首目に応えたものだが、私との間に立ちふさがる山を口実に、池主殿が会いに来てくれないことをなじるような恋歌仕立てにしてみた。

二首目もやはり池主殿の二首目に応えたもの。以前、池主殿が暮らしていらっしゃった旧宅の庭の桜(池主殿ご自慢の桜であった)が折も折、今にも咲き出しそうに蕾んでいる様を詠み、池主殿をこの越中に誘うように歌った。

そして三首目。これも池主殿の三首目に応えたもの。池主殿が私に逢えない苦しみを歌ったものだから、これも恋歌の作法にならってその苦しみは私の方が強いと歌ったものである。 私とて官人のはしくれ、諸国の官人が帝のご命令のまにまに、勝手にその任地を出ることが出来ないことぐらい十分に承知している。だから、こんなに近くまでいらっしゃった池主殿が泣く泣く越前の国府に帰ったであろうことは知っている。そしてこんな歌を贈ってやれば池主殿がきっと困ることも知っている。けれども、人は心に思うことは止めることの出来ないもの。そして、心に浮かんだならばそれを歌に書き留めずにいられないのは歌人でもある私の性。池主殿もその辺りは承知してくださることと思う。

そうして、その押さえきれぬ思いを私はさらに嘱目として四首目を詠んだのだ。今、越中は霞たなびくうららかな春。けれども、そんな麗しい季節となっても私の心は未だ冬・・・それは、あなたに会えないからだ・・・と伝えたかった。 池主殿からは、それは格調の高い序を添えての三首いただいた。本来ならば私も同じように序を添えたほうが形式としては整ったものになったであろう。けれども、文をしたためる、そのわずかな時間さえもどかしかった。一刻も早く我が思いを池主殿に伝えたかった。わき上がる感情をいちいち整理して文にまとめる時間が惜しかった。歌ならばわき上がるその思いを思いのままに書き付ければよい。そして・・・それが私には最もふさわしいやり方なのだ。

越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首

越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首

以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生 別悲兮 夫復何言臨紙悽断奉状不備

三月十五日大伴宿祢池主

一 古人云

月見れば 同じ国なり 山こそば 君があたりを 隔てたりけれ

一 属物發思

桜花 今ぞ盛りと 人は言へど 我れは寂しも 君としあらねば

一 所心歌

相思はず あるらむ君を あやしくも 嘆きわたるか 人の問ふまで

思い返せば二年前、初めて経験する越中の冬の寒さにひどく体調を崩した私に、何かと暖かいお言葉をかけて励ましてくださったのが池主殿だった。春になり私の病も癒えはじめると、暮春の越中の風光を賞美しようと遊覧にお誘いいただいたのも池主殿であった。春のうちにはとうとう体調も回復しきらず、ともに越中の地を遊覧したのは四月に入ってからであった。けれどもその楽しさは本当に格別なもので、その時の歌に「いや年のはにかくし遊ばむ今も見るごと」と歌い、次の年も、またその次の年もと願ったものだ。けれども残念なことにその年のうちに池主殿は越前の国へと御転任なさってしまい、その約束は果たせなくなってしまった。その無念さが春になる度に思い出され、その思いを書状に書き付けて池主殿に送ったのが先日のこと。

御書面を見るに池主殿はお仕事の関係で、この越中との国境、深見の村までお越しになっていたらしい。そこには「隣近なるを以て忽に戀諸を増す」と書いてはおられるが、それは私とて同じこと。せっかくここまで来たのならばあと少し足を伸ばし私のところまで来ていただけば良かったのにとは思うものの、それは我々公の身、個人的な感情で自らの任地を離れることもかなわぬこと。この切なさは何と言葉で言い表したらよいものか。

一首目の歌にある通り山が私の住む越中と池主殿の住んでいらっしゃる越前を隔てている。私はこの国府の南方に見える山々を望みつつ、今は逢うこともかなわぬ池主殿への思いをつのらせた。二首目。私とて思いは同じである。同じ桜を見るにしても、池主殿とともに眺め、歌を交わしあうことが出来たのならばどれほど楽しいことか。三首目の歌には「相思はず」などと詠んでいらっしゃるが、そんなことがあるはずもないことを池主殿はよく分かっていらっしゃるはずだ。私だって「あやしくも 嘆きわたるか 人の問ふまで」という状態で日々を過ごしているのだ。


参考までに池主殿のお手紙を読みやすいようにしておく。

越前国の掾大伴宿禰池主の来贈(おこ)せる歌三首

今月十四日をもちて、深見村に到来し、かの北方を望拝ぼうはいす。つねに芳徳を思ふこと、いづれの日にかよくまむ。兼ねて隣近なるをもちて、たちまちに恋を増す。加 以しかのみにあらず、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝を促くることいまだ期せず、生別の悲しび、それまたいかにか言はむ」と。紙にのぞみて悽断し、状を奉ること不備なり。

三月十五日、大伴宿禰池主

今月の十四日、深見の村に参り、あなたのいらっしゃる北方を遙かに望みました。常々あなたの御高徳をお慕い申し上げている私の気持ちはいつになったら止む日が来るのでしょうか。いいえそんな日が来るはずがございません。加えてここ深見はあなたのお住まいにも近く、にわかにお慕い申し上げる気持ちがつのるばかりです。それだけではありません。先日いただいた御書面に「暮春三月の名残は尽きない。けれども逢える日がいつとも計りがたい。生きてある身の別れは悲しい。けれども、その思いをどのように言い表せばいいのか。」とありました。この私も紙を前にして心を痛め、書状を差し上げるにも形が整いません。

三月十五日、大伴宿禰池主

 

詠庭中牛麦花歌一首

詠庭中牛麦花歌一首

一本のなでしこ植ゑしその心誰れに見せむと思ひ始めけむ

右先國師従僧清見可入京師因設飲饌饗宴 于時主人大伴宿祢家持作此歌詞送酒清見也

しなざかる越の君らとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ

右郡司已下子弟已上諸人多集此會 因守大伴宿祢家持作此歌也

ぬばたまの夜渡る月を幾夜経と数みつつ妹は我れ待つらむぞ

右此夕月光遅流和風稍扇 即因属目聊作此歌也

今日は今度都に帰られることになった先の国師の従僧の清見殿の送別と、この越中の国の郡司、そしてその子弟の方々との顔見せを兼ねての宴があった。この三首はその宴の中で私が歌ったものだ。 一首目は、庭に植えたなでしこを詠んだもの。「牛麦」なんてちょいと変わった書き方をしたが、さてこのように書いてなぜ「なでしこ」とと訓めるのか・・・ここで種明かしをするのは止めておこう。この日記を読む人のたのしみを奪ってはいけない。宴に先立つほんの数日前私は、国司の館の庭に大好きななでしこを植えさせた。なでしこは夏から秋にかけて咲くもの。こんな三月の初旬には蕾すらついていない。本当は自分が好きだからいつも見ていたいと思って植えたものだが、こんな宴の場面では使わない手はない。いかにも清見殿と賞玩するために植えたなでしこであるかのように歌い、惜別の情を示そうとしたのだ。

国師とは中央から諸国の国分寺に派遣されそれぞれの国の僧や尼、寺院の管理を掌るお方である。清見殿はその下にあって身の回りの世話などをおおせつかっていたお方である。

二首目。同じくその場に居合わせた郡司、およびその子弟に対して充分に楽しんでほしい・・・ともに楽しもうと歌った歌である。郡司はそれぞれの国にあって我々のように都から派遣されてきた者の下で働く郡の役人である。地方の豪族か選ばれることが多い。親から子へとその職は受け継がれたので、こうやって親子ともども年に数度顔つなぎに国司の館に集うことがあった。

そして最後の一首。宴も進み、少々酔いもまわってきた。そんな目で月を見た時、ついつい都にいる妻、坂上大嬢のことを思い出してしまった。今、妻がどんなにか自分のことを恋い慕って待っているのかという思いがおさえきれなくなりついつい歌ってしまった。

ところで・・・しばらくぶりに我が歌日記を読み返してみて、ふと今回の宴の歌三首と、この直前にならんでいる久米朝臣廣縄殿の舘にて宴での四首との時間の開きに驚いてしまった。今回の三首が天平二十一年の三月の初旬の歌(日付は・・・書いていたはずであったのだがいかに記す理由のせいかはっきりしない)だから、久米朝臣廣縄殿の舘にて宴があった天平二十年四月一日からはほぼ一年が経っている。 この間一首の歌も詠んでいないはずはないのだが・・・ この日記には管理の不行き届きで幾分かの欠落がある。たぶん・・・ここもそうなのだろう。そのせいでどうやら今回の三首の日付も欠けてしまったようだ。