越中守大伴宿祢家持報歌并所心三首
天離る鄙の奴に天人しかく恋すらば生ける験あり
常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ば担ひあへむかも
別所心一首
暁に名告り鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも
右四日附使贈上京師
右の歌 四月四日に京師に上る使いに附した。 先日、都の義母(叔母でもある)よりいただいた歌は諧謔に富んだ、しかも離れて暮らす私に対する思いの溢れる二首であった。諧謔に応うるには諧謔を以て、というのが礼儀というものであろう。そんな意図の元に最初の二首は詠んだ。
一首目、「鄙の奴」とは私にこと。「天人」とはもちろん義母のことである。この国にあって、都は天上界のごとく尊い場所。であるなら、そこに住まいする義母は「天人」に違いあるまい。先日の義母の歌に私のことを「常人」と詠んでいたところに、ちょっと絡んでみた。四句目に「かく恋すらば」とあるのはあまり聞き慣れない物言いだがその意は「かく恋すらむは」と同じ。この場所での字余りは少し体裁が悪いのでこんなふうにいってみた。
二首目、義母のいうところの「常人」の恋でさえこの私の肩に重くのしかかっているのに、その上、荷馬でさえ背負いかねるような恋まで都から送り届けられてきたらこんな私にはとても背負いきれるものではないとふざけ返してみた。
さて、三首目であるが、これは贈られて来た歌に対して忠実に応えるという礼儀を果たした後、今の私の思いを詠んでみたものだ。せっかくへの都への使いに附する手紙だ。送られた歌に対して返答しただけであっては、応えるということがいかにも義務的に見えてしまう。先月の池主殿への返歌もそうであったように、歌を贈ってくださった相手には今の自分の思いを伝えるということは・・・特にこうして離れて暮らし、頻繁にやりとりが出来ない場合は・・・大切なことだと私は思う。
ところでこの歌において「霍公鳥」を「名告り鳴く」鳥と規定した。夜といわず昼といわず自らの所在を告げるかのような声で鳴き続ける様をこういったのであるが、認識としてはこれまでも「霍公鳥」は「名告り鳴く」鳥ではあった(近江の御代の頃からかと聞いている)が、これを歌に詠み込んだのは私の新工夫だ。平城の御代に時代にはあまりこれに同調なさる方もなかったが、平安の御代にいたって同じように歌に詠む方が多く現れてきたと聞く。創案者としてはちょいと鼻が高い・・・・