姑大伴氏坂上郎女来贈越中守大伴宿祢家持歌二首

姑大伴氏坂上郎女来贈越中守大伴宿祢家持歌二首

常人つねひとの恋ふといふよりはあまりにて我れは死ぬべくなりにたらずや

片思かたもひを馬にふつまにほせ持てこしに遣らば人かたはむかも

()とは妻の母、或いは父の姉妹をさす語。叔母であり、かつ妻の坂上大嬢の母でもある坂上郎女をさすにふさわしい語だ。先日の池主殿の書状をもたらした使いが、この懐かしい叔母の二首をももたらしてくれた。

一首目。叔母の私を思う恋心は他の人の比ではなく、その思いの深さに今にも死にそうだといっているのであるが、この大げささがいかにも叔母らしくて思わず笑みが浮かんでしまう。

二首目に至っては大笑いだ。自分の片恋の想いは、この越中への使いの馬にも乗せかねるほど重く、誰かその助けをしてくれぬか・・・などとはよく言ったものだ。

恋歌仕立てのこの二首は、その大げささから一見冗談とも受け取れるような作にはなっているが、その奥底に遠く離れて暮らす甥の私に対する深い想いが感じられる。さらには健気にも一人家を守り、弱音を私には示さぬように努めている我が妻の大嬢の心情をも代弁してくれているのだとも思う。我が歌の師の一人でもある叔母、往年の才媛「大伴坂上郎女」の面目躍如といった風情の才気あふれる作だ。 私とて平城の地に残してきた妻や子、そして叔母をはじめとした一族の人々を思わぬ日はない。

くわえて、大伴家の嫡流の血を受け継ぐ者として都を離れていることに不安が無いわけではない。けれども、このような叔母が(いえ)()()として大和の地にひかえてくれていることはまことに心強い。それでこそ安心して公務に専念できるというものだ。 次の都への使いは四月に入ってからだ。それまでに私もこの二首に応えるにふさわしい歌を作っておかなければならない。

コメントを残す