越前國掾大伴宿祢池主来贈歌三首
以今月十四日到来深見村 望拜彼北方常念芳徳 何日能休 兼以隣近忽増戀 加以先書云 暮春可惜 促膝未期 生 別悲兮 夫復何言臨紙悽断奉状不備
三月十五日大伴宿祢池主
一 古人云
月見れば 同じ国なり 山こそば 君があたりを 隔てたりけれ
一 属物發思
桜花 今ぞ盛りと 人は言へど 我れは寂しも 君としあらねば
一 所心歌
相思はず あるらむ君を あやしくも 嘆きわたるか 人の問ふまで
思い返せば二年前、初めて経験する越中の冬の寒さにひどく体調を崩した私に、何かと暖かいお言葉をかけて励ましてくださったのが池主殿だった。春になり私の病も癒えはじめると、暮春の越中の風光を賞美しようと遊覧にお誘いいただいたのも池主殿であった。春のうちにはとうとう体調も回復しきらず、ともに越中の地を遊覧したのは四月に入ってからであった。けれどもその楽しさは本当に格別なもので、その時の歌に「いや年のはにかくし遊ばむ今も見るごと」と歌い、次の年も、またその次の年もと願ったものだ。けれども残念なことにその年のうちに池主殿は越前の国へと御転任なさってしまい、その約束は果たせなくなってしまった。その無念さが春になる度に思い出され、その思いを書状に書き付けて池主殿に送ったのが先日のこと。
御書面を見るに池主殿はお仕事の関係で、この越中との国境、深見の村までお越しになっていたらしい。そこには「隣近なるを以て忽に戀諸を増す」と書いてはおられるが、それは私とて同じこと。せっかくここまで来たのならばあと少し足を伸ばし私のところまで来ていただけば良かったのにとは思うものの、それは我々公の身、個人的な感情で自らの任地を離れることもかなわぬこと。この切なさは何と言葉で言い表したらよいものか。
一首目の歌にある通り山が私の住む越中と池主殿の住んでいらっしゃる越前を隔てている。私はこの国府の南方に見える山々を望みつつ、今は逢うこともかなわぬ池主殿への思いをつのらせた。二首目。私とて思いは同じである。同じ桜を見るにしても、池主殿とともに眺め、歌を交わしあうことが出来たのならばどれほど楽しいことか。三首目の歌には「相思はず」などと詠んでいらっしゃるが、そんなことがあるはずもないことを池主殿はよく分かっていらっしゃるはずだ。私だって「あやしくも 嘆きわたるか 人の問ふまで」という状態で日々を過ごしているのだ。
参考までに池主殿のお手紙を読みやすいようにしておく。
越前国の掾大伴宿禰池主の来贈せる歌三首
今月十四日をもちて、深見村に到来し、かの北方を望拝す。つねに芳徳を思ふこと、いづれの日にかよく休まむ。兼ねて隣近なるをもちて、たちまちに恋を増す。加 以、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝を促くることいまだ期せず、生別の悲しび、それまたいかにか言はむ」と。紙に臨みて悽断し、状を奉ること不備なり。
三月十五日、大伴宿禰池主
今月の十四日、深見の村に参り、あなたのいらっしゃる北方を遙かに望みました。常々あなたの御高徳をお慕い申し上げている私の気持ちはいつになったら止む日が来るのでしょうか。いいえそんな日が来るはずがございません。加えてここ深見はあなたのお住まいにも近く、にわかにお慕い申し上げる気持ちがつのるばかりです。それだけではありません。先日いただいた御書面に「暮春三月の名残は尽きない。けれども逢える日がいつとも計りがたい。生きてある身の別れは悲しい。けれども、その思いをどのように言い表せばいいのか。」とありました。この私も紙を前にして心を痛め、書状を差し上げるにも形が整いません。
三月十五日、大伴宿禰池主