四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首
卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも
右一首守大伴宿祢家持作之
二上の山に隠れる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ
右一首遊行女婦土師作之
居り明かしも今夜は飲まむ霍公鳥明けむ朝は鳴き渡らむぞ二日應立夏節 故謂之明旦将喧也
右一首守大伴宿祢家持作之
明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜のからに恋ひわたるかも
右一首羽咋郡擬主帳能登臣乙美作
今日は廣縄殿のお宅で宴があった。先日(三月二十六日)の廣縄殿のお宅での田邊福麻呂殿を送別する宴の際に聞くことのできなかった霍公鳥の声がもしかして聞くことができればとの縄麻呂殿の発案である。
縄麻呂殿のお宅は霍公鳥の渡りの通過点と言うこともあり、この辺りでは他所よりも一足早く霍公鳥の声を聞くことができる場所だ。福麻呂殿の送別の宴の際は三月も末ということもあって、ひょっとしたら霍公鳥の歌声が聞こえればと思って場の設定をしたのであるが、ついぞその声を聞くことができなかった。福麻呂殿はそのことにいたく責任を感じておられ、ここ数日ちょいと沈んでおられた。今日はその名誉挽回という次第である。
暦の上では明日二日が立夏、霍公鳥が鳴くべき日である。ということは、渡りの通過点にある廣縄殿のお宅ならば一日早くその声を聞くことができないかとお考えになられたらしい。けれども、霍公鳥はなかなか鳴いてはくれなかった。縄麻呂殿は責任を感じられ、ますます沈む一方である。まことに生真面目な方ゆえ、その責任の感じ方は尋常ではない。
私はそんな縄麻呂殿の気持ちを考えると少しでも早く「来鳴き響めよ」と歌わずにはおれなかった。その私の思いに上手に応じて歌ってくれたのが遊行女婦の土師だ。さすがは遊行女婦である。場の雰囲気を的確に読み取って・・・就中、縄麻呂殿と私の思いを・・・かく歌ってくれた。歌中の「君」とはこの歌が直接的には私の歌に応えたものであるから私のことをさしてはいる事は疑えないがが、その裏の意は縄麻呂殿をさしているに相違ない。土師は縄麻呂殿のためにも早く鳴いておくれと歌ったのだ。
それでも霍公鳥はなかなか鳴かない。縄麻呂殿はますます恐れ入ってしまい歌を詠むどころではなかったようだ。それで仕方なく詠んだのが私の「明日よりは」の歌だ。暦の上では霍公鳥が鳴くのは立夏となる明日。明日になればきっと鳴くからと詠むことで縄麻呂殿の負担を少しでも少なくしようと思ったのだ。
それに対しては羽咋の郡の擬主帳、能登臣乙美がみごとに応えてくれた。彼はこの日たまたま公務で国府に出てきていたのだが、せっかくだからと思い、この宴に誘っておいたのだ。身分は低いながらも私の思いを正確に読み取ってのこの詠みざまは特筆に値するものであると思い彼の歌もここにのせておいた。