廿五日徃布勢水海道中馬上口号二首

廿五日徃布勢水海道中馬上口号二首

浜辺より我が打ち行かば海辺より迎へも来ぬか海人の釣舟

沖辺より満ち来る潮のいや増しに我が思ふ君が御船かもかれ

先日の宴で約束した通り、今日は布勢の水海の遊覧に出かけた。私が昨年、都への手土産代わりにと作った「布勢水海遊覧賦」並びにそれに対する池主殿の敬和歌にあるがごとく、皆で馬に乗ってである。晴朗なる天気、遙かに見渡す布勢の水海、絶景これに勝るは無しといった按配であった。

もちろんせっかくのこの水海の遊覧であるから浜辺から眺めるだけではつまらない。やっぱりここは船を出さなければ・・・・

そう思い、かねてから船を手配していたのだが、我々がこの場所に着いたのが早すぎたのか、船はまだ着いていない。馬上にて、早く船がやってくることを願いつつ歌ったのが一首目だ。程なく船は来た。私は福麻呂殿にあれが今日の船ですよと指さしつつ歌った。それが二首目である。

ところで、この歌には題詞にも左注にも誰が詠んだ歌かを記していない。これは縷々申し述べているこの日記の保存状態の悪さに由来する。けれども上に述べた事からもわかるように、この歌は私が福麻呂殿に歌いかけた歌。後の世に私の歌巻を写してくれた人々もそのあたりのことは承知の上だったとみえ、その方々の作成によるこの部分の目録にはきちんと私の作である由を書き添えてある。まことにありがたいことだ。

本当にこの歌のあたりはよほど保存の状態が悪かったようだ。私どもの時代には平仮名という文字は存在せず、漢字の音や訓を利用して我が国の言葉を書き表していた。例えば一首目の第一句「浜辺」だが、私どもの時代の仮名遣いでは「波萬部」などとあるべきところだ。ところが、今、皆さんがご覧になっている本では「波萬へ」となっている。またすぐその下の「より」、今皆さんがご覧になっているものは、「余里」となっていると思うのだが、私どもの時代では「・・・より」の「よ」にはこの「余」という文字は使わない。三句目に「宇美邊欲里ウミベヨリ」の「欲」などを使うのが通例だ。これらの二つの文字は昭和の御代では同じ「よ」と発音しているものが、私どもの時代には違う発音で読まれていたことに由来する。あくまでも違う種類の文字なのだ。それがかくも誤用されるのは、時代の推移とともにその保存の状態が悪くなっていったこの部分、文字が読み取れなくなっていたことが原因かと思う。それを後の世・・・おそらくは平仮名も生まれ、「よ」の発音の区別もなくなってしまった平安の御代の人々が今見る形に補ってくださったのかと私は考えている。

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