天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田邊福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒

天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田邊福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌并便誦古詠各述心緒

奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む

波立てば奈呉の浦廻に寄る貝の間なき恋にぞ年は経にける

奈呉の海に潮の早干ばあさりしに出でむと鶴は今ぞ鳴くなる

霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

右四首田邊史福麻呂

二月、私が越中の国内の巡行に出かけて入る間に、かねがねお世話になっている左大臣橘諸兄様の家の使いとして、造酒司の令史の田辺福麻呂殿が越中においでになっていた。福麻呂殿は宮中で用いる酒や酢などの醸造を一手に引き受けている造酒司に勤めておいでで、その位階こそ大初位の上と低い身分にあるお方だが、宮廷においては様々な行事の場面で歌を奉る宮廷歌人として活躍しておられる方だ。加えて、我が敬愛する諸兄様の家司としての任にもついているお方で、私にとっては二重にも三重にも大切なお方だ。

本来ならば越中においでになったその日にでもこうやっておもてなししなければならなかったのだが、あいにく私が任地の巡行に出ていたためそれができなかった。そして私が国府に帰ったときには、今度は福麻呂殿が越中の国内にある諸兄殿の所領の見回りに出かけていたがため、つい先日までお会いすることができなかった。

福麻呂殿が、今回の任である諸兄殿の所領の見回りが終わり、いよいよ都に帰ると国府の方に挨拶にいらっしゃったので、これはいい機会とささやかながら国司の館で宴を催させて頂いた。福麻呂殿は名に負う歌人。次から次と口をついて出てくるお歌は、そのどれもこれもがすばらしい。それに、私が異常なまでに「霍公鳥」に執心なのをちゃんと心得ていらっしゃって、最後にはそれにまつわる古歌まで歌ってくださった。心憎いばかりである。
それにしても、我が歌友大伴池主殿が他所に赴任してしまった後、長らく歌について語り合う相手がいなくなってしまい、若干、寂しい思いをしていたが、今日は充分に語り合うことができた。諸兄殿のもとで私どもが集めていた歌巻についても、今後それをどうしてゆくべきか参考になるようなお考えを聞くことができた。

本当に意義のある宴であった。

ところで、この日の宴では私もいささかの歌をものし、福麻呂殿にお応えさせていただいたのだが・・・
実は、この日記のこれからのしばらくの間の部分(後の世で言われる万葉集巻十八)には数カ所かの欠損がある。私の死後、この歌巻が平城の帝によって見いだされるまでの間、管理が充分でなかったためのようだ。その後、平安の御代の方々が補修を加えてくださった形跡もあるのだが、欠損してしまった部分はどうしようもない。貴重な歌がいくつか失われてしまった。そしてこの日の宴での私の歌も・・・残念なことではあるがどうにも思い出せない。仕方がないので、今、皆様の目の前にあるのと同じ形で今日の日記を終えるしかない。

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