能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首

能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首

鳥総立て 船木伐るといふ 能登の島山 今日見れば 木立繁しも 幾代神びぞ

香島より 熊来をさして 漕ぐ船の 楫取る間なく 都し思ほゆ

先日の気太神宮への参拝の後、私は山道を辿り鹿島の津(平成の御代では七尾と言っていると聞く)へと向かった。そして熊来の村へと舟を進めた。

一首目はちょいと冒険をして旋頭歌を試みてみた。旋頭歌は最近でははやらないものになってしまったが、柿本人麻呂殿の時代までは結構人気のあった歌体だ。人麻呂殿も何首か試していらっしゃるが、その後はどうも人気がなくなってしまったようだ。そこには歌というものの役割の推移というものがあるのだろう。人麻呂殿以前は歌は集団の思いを歌うことが多かったと聞く。そして、その集団の思いを歌に託す場合、この五七七・五七七の旋頭歌という形が、ある場合には適していたのだろう。が、人麻呂殿以来、歌は個人の思いを表出するものとなった。そうなってくるとこの五七七・五七七がどうにも都合が悪いのだ。
今回の試みでそのことが思い知らされたように思う。なんとか体裁を整えることができたが、だいぶ苦労した。

ならば、なぜそんなに苦労してまでこんな実験したのか・・・

これから向かうところが熊来であるということでふと思い当たることがあったのだ。

はしたての 熊来のやらに 新羅斧 落とし入れ わし あげてあげて な泣かしそね 浮き出づるやと 見む わし

はしたての 熊来酒屋に まゐらぬる奴 わし さすひ立て 率て来なましを まゐらぬる奴 わし

私の歌巻(万葉集)の巻の十六におさめておいた歌だ。この歌を思い出したとき、ちょいと真似をしてみようと思ったのだ。旅にあって旅先の風光をほめたたえるのはその土地の神霊に対してのご挨拶でお決まりのことだ。「幾代神びぞ」なんて言い回しからも皆さんにはうかがい知れるだろう。そして、その地の歌を真似ることも熊来の地の神霊のご機嫌を考えてのことだ

そして二首目、ここでは望郷の念を歌うことにした。これもまた旅の歌のお決まり。今度は思いを向ける先は都であるのだから遠慮なく五七五七七。
・・・やはり・・・こちらのほうがだいぶ楽だ・・・

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