守大伴宿祢家持舘飲宴歌一首 四月廿六日
都辺に立つ日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ
池主殿のお宅での送別の宴は実に楽しいものであった。私が都へ立った後の辛さを歌えば、内蔵忌寸縄麻呂殿が私が旅立った後の寂しさを歌う。そしてそれを承けて私がきたる五月五日の薬玉の楽しみについて歌えば、池主殿がそれにまつわる古歌を伝誦する。更には私が都への手土産にと作った「遊覧布勢の水海の賦」を披露すれば、池主殿がそれに応える・・・
余りに興が盛り上がったので、その場でおひらきにするのも気がひけて、私の館に皆さんをお誘いし、二次会という次第になった。歌の方は池主殿のお宅で充分に楽しんだので、この場では私の挨拶の歌だけを披露し、後は飲みながらつもる話をいつまでも続けた。
ところで、今日の日の宴は、亡き父がかの筑紫の地にて山上憶良殿等と過ごしたような日々が、ここ越中の地においても再現されているかのように思わせるものであった。あまざかる越中の地においてもかような風流な日々繰り返されていることを、私をこの地へと送り込んで下さった橘諸兄殿をはじめとした方々にお伝えせねばならない。 私は昨年この地に赴任して以来の歌々も都に持ち帰るつもりである。
ところで、この宴の中でまた一つ一座の面々から宿題が出された。「二上山」と「布勢の水海」だけでは、都への手土産として不足ではないか、という声が出たのだ。しかし、この越中の風土の全てを歌にするためにはもはや日がない。「都辺に 立つ日近づく」と歌でもいったようにあと数日で私は都へと旅立つ。税帳を都に持ち帰る期限は過ぎようとしている。これ以上、出立が遅れるようなことがあってはならぬ。ならばあと一つだけ・・・一同で頭を捻った。そして「立山」である。この国府から南東にはるかに見はるかす「立山」。白く雪を冠する雄大なその姿は神々しくさえある。この山の姿を歌にするのでなくては、越中の名所を歌ったことにならない・・・というのが、一同の答えである。
ともあれ、今日は飲み過ぎた。「立山」の歌を詠むには明日からにしよう。池主殿も「和」をなして下さるとのことだ。今度はどのような「和」をなして下さるのか、これもまた楽しみだ。