二上山賦一首

二上山賦一首 此山者有射水郡也

射水川 い行き廻れる 玉櫛笥(クシゲ) 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ統(ス)め神の 裾廻(スソミ)の山の 渋谿(シブタニ)の 崎の荒礒(アリソ)に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ

渋谿の 崎の荒礒に 寄する波 いやしくしくに いにしへ思ほゆ

玉櫛笥 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり

右三月卅日依興作之 大伴宿祢家持

二上山といっても大和にある二上山ではない。ここ越中、射水の郡に聳える山のことだ。大和にあるそれと同じように二つの頂を持っていることにこの名の由来がある。高さは大和の二上山の半分・・・いや、それよりはやや高い。けれどもこの地の国府とはかなり近い位置にあるので、それなりの高さを感じる。

対して、大和の二上山は、坂上大嬢の育った竹田の庄からその姿を愛でることが主であったので、あまりその高さを感じることはなかった。そのせいか、本来ならば大和のそれよりもかなり低いはずのこの越中の二上山の方がより威圧感を以て我々に迫ってくるものがある。ただ、やはりその名といい、大和のそれに似た山容といい、妙に大和を懐かしませる・・・そんな山だ。それゆえか大和に旅立つ日が近づきつつある今この山がやたらと気にかかるようになってきた。

題詞にある「賦」とは唐土の詩文・・・特に私の愛読している「文選」や「芸文類聚」あたりによく見られる詩文の形式の名ではあるが、我々の言うところの長歌にその趣がよく似ているところから、これに擬えてこのように題してみた。内容は、感じるところをそのままに詠じる、形式的に見れば長い体裁を持つ・・・というのが唐土での意味であるので(「毛詩」大序・ 「文心雕竜」詮賦)、こういった使い方をしても大きな過ちであるとはいえないであろう。二月の末より、三月の初めにかけて池主殿と漢詩文のやりとりを数度行ったせいか、妙に唐土かぶれしてしまい、こういったことを一度試みてみたいと思ったのだ。

けれども「賦」と題しただけであっては、この試みも何の意味もない。そこで長歌は、その前半おいて「山」、後半において「海」を歌い、その「山・水」の春秋・朝夕にわたっての美しさを褒め称えた。この際、それぞれの部分をを十四句・十五句とほぼ均等に割り付け、全体の釣り合いを重視した。いわゆる「山ぼめ」の歌ではあるが、念頭に山部赤人殿や高橋虫麻呂殿の富士の山の歌を置きつつも、語句の方はは柿本人麻呂殿や笠金村殿、同じく赤人殿の吉野讃歌から多くの言葉を借りて、それらの言葉を三つの二句対に配した。「賦」という題ににふさわしきように整然たる形に仕上げようと努めたのだ。ここに新しい表現形式を構築し得たといささか自負を感じないでもない。

更に短歌。一首目は長歌の中の「いにしへゆ」なる語をそのまま承けて詠んだものだ。そして二首目。昨日は「あしひきの 山も近きを 霍公鳥(ホトトギス)・・・」と詠んだが、それはこの山のことを念頭に置いてのことだ。池主殿達の言によれば、この山は季節になれば、霍公鳥がうるさいほどに鳴く山だという。そしてその鳴くべき季節は今、到来しつつある。ここでその声さえ聞こえてくれれば、私のこの山への賛美は完成する・・・そのことを祈念して最後の短歌を添えてみた。

さて、霍公鳥はいつ鳴いてくれる事やら・・・

ところで、このように霍公鳥の鳴く日が遅いのは大和では考えられぬ事だ。このことを今度の上京の際に皆に話したならばきっと驚くに違いない。それこそ、土産話というものだ。加えて、この越中の地に大和と同じく二上山という名の山があること、これもまた都の風流人士には興味深いことであろう。そして越中国府はその山裾にいだかれるように存する。私はこの山のことも都人に伝えようと思う。題詞に「此の山は射水郡にある」と注を付け加えたのも地方の地理に疎い大和の人々を思ってのことだ。きっと喜んで下さるものと思う。

最後にもうひとつ。この歌の左注には「興に依って(依興)」との一語を添えた。考えようによっては、少々おかしい。何となれば、いやしくも一首をものしようとするならば、そこには何らかの興趣の働きかけがあってはじめてその歌は詠み出されるものだからである。であるから、そこにほあえて「興に依って(依興)」と書き添える必要は何処にもないはずだ。けれども。私はここにこの一節を添えずにはいられなかった。今まで歌を詠もうとした時に感じた興趣とは、なにか異質の・・・何と説明したらよいのか上手く説明できないが、何かしら歌を詠まずに入られないような思いが、私の内からせり上がってきて・・・・。通常とは逆の力が私に働きかけてきたのだ。今は上手く説明できないこの思い・・・私にこの歌を詠ませたのだ。

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