立夏四月既經累日而由未聞霍公鳥喧因作恨歌二首
あしひきの 山も近きを 霍公鳥(ホトトギス) 月立つまでに 何か来鳴かぬ
玉に貫く 花橘を ともしみし この我が里に 来鳴かずあるらし
霍公鳥者立夏之日来鳴必定 又越中風土希有橙橘也 因此大伴宿祢家持感發於懐聊於裁此歌 三月廿九日
私はことのほか「霍公鳥」が好きだ。もちろんその鳴き声を愛でているのだ。この鳥の声はある時には亡き人を、またある時には恋人を・・・と、懐かしい人のその面影を彷彿とさせてくれる。後の世の人の数えたところによると私の歌巻(万葉集)には153首の歌に詠まれているとか・・・そのうち63首は私の歌だそうだ。あまり意識してはいなかったが、この数字を見ると、それほどのものかと我ながらあきれてしまう。まあ、私の他にも90首ほど「霍公鳥」を詠んだ歌があるそうなのだからこの傾向は私に限ったことではあるまい。ただ少し私にその傾向が強かったのだ。
とはいえ、わたしがこの鳥が飛来し、鳴き出すはずの季節になるといてもたってもいられなくなるのは事実であり、この二首もそんな思いを詠んだものである事は説明するまでもないであろう。私の待ち遠しい気持ちは、その題詞に示しておいた。
というのはこの歌を詠んだ今日は3月29日で、未だ4月にはなっていない。夏は4月の1日に始まる。けれども、月齢の進行と、暦には毎年若干の食い違いがある。今年(天平19年)は3月の21日が立夏だ。である以上その日からもう夏なのだ。夏である以上それは4月・・・私の意識の上でことではあるが・・・・。他の方からみれば、多少無茶苦茶に思えるような論理ではあるが、「霍公鳥」の飛来を待つ私の心持ちから言えば何の矛盾もそこにはない。
・・・ひょっとしたら、上京予定の4月が少しでも早く来てほしいとの私の願いが、暗に表出したものなのかもしれないが・・・
それにしても遅い・・・大和ならば立夏の頃にはあの懐かしい声が聞こえてしかるべきなのだが・・・
聞けば、唐土にあっては「霍公鳥」が暮春に飛来するとの考えが一般的らしく、最も早いものは春分、最も遅いものは立夏とする考えもあるらしい(「子規と郭公」青木正兒全集巻八)。ここで私は我が国の実情に合わせ「霍公鳥は立夏の日になれば飛来しその鳴き声を聞かせてくれるのが必定」と書いた。
なのに、まだ鳴かない・・・
この寒冷な越中の風土のせいか、あるいはこの鳥の連れ合いと言っても過分ではない「橘」がこの越中の地にはまれにしか見られないからであろうか。ともあれ、私は同じこの国にあって、かくも違いがあることに大いに興味を抱いた。