忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦

忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能蠲戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭蕙隔藂琴罇無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能黙已 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳

山峽(カヒ)に 咲ける桜を ただ一目 君に見せてば 何をか思はむ

鴬の 来鳴く山吹 うたがたも 君が手触れず 花散らめやも

沽洗(三月)二日 掾大伴宿祢池主

先日私が贈った書簡の歌に池主殿がかようにお応え下さった。父上や山上憶良殿がよくやっていた漢文の序を和歌に付するという形式を、私が戯れに試みたところ、池主殿はそれにみごとに対応して下さった。

やはり、漢文がお得意な池主殿だ。その序文の中には、六朝詩や遊仙窟によく使われている「紅桃」「戯蝶」「翠柳」「嬌鴬」、荘子に見られる「淡交」、そして初唐の詩人王勃の「林泉孤飲」にあった「物色軽人」を初めとした数々の麗しき語をちりばめられてあり、「翰苑雲を凌ぐ。」とは私の駄文よりは、池主殿のこの序文にこそふさわしい言葉である。

また私が病の床にあるがため、会うこともままならない状況を「蘭蕙、藂を隔て」などという言い回しで表現するなんて私は思いもつかないことだ。本当に恐れ入るばかりだ。「藤を以ちて錦を続ぐ。」は「錦を以て藤を続ぐ。」と言い改めたいほどだ。

そして二首の短歌。私が贈った二首の中では単に「春の花」とだけいってあるところを、「桜」「山吹」と置き換えて下さっている。このように病の床にあってこの越中の山野に今頃どんな花が咲いているのかもわからず、「春の花」と極めて曖昧な形でしか詠むことが出来なかったのを承けて、具体的に二つの花を挙げ、私にそれとなくそれらの花が咲いていることを教えて下さっている。我が意を得たりとは、まさにこのような返歌のあり方を言うのではないかとさえ思われる。

とにもかくにも、池主殿のこの序文と歌には更にお応えせずばなるまい・・・

<補>

ここもまた漢文を読み慣れぬ平成の御代の方々のために短歌の前に添えた序文の読みやすく改めたものを下に記した。ご参考までに・・・

忽(タチマチニ)に芳音を屈(カタジケナ)みし、翰苑(カンエン)雲を凌ぐ。兼(サラ)に倭詩を垂れ、詞林錦を舒ぶ。以て吟じ、以て詠じ、能(ヨ)く恋緒をのぞく蠲(ノゾ)く。春は楽しぶべく、暮春の風景は最も怜れむべし。紅桃灼々、戯蝶は花を廻りて儛ひ、 翠柳依々、嬌鴬葉に隠れて歌ふ。楽しぶべきかも。淡交に席(ムシロ)に促(チカヅ)け、意を得て言を忘る。楽しきかも、美(ウルハ)しきかも。幽襟賞(メ)づるに足る。豈(ア)に慮(ハカ)りけめや、蘭蕙(ランケイ)、藂(クサムラ)を隔て、琴罇用ゐるところなく、空しく令節を過ぐして、物色人を軽みせむとは。怨むる所、此(ココ)にあり。黙(モダ)して已(ヤ)むことを能(アタ)はず。俗(ヨ)の語に云ふ「藤を以ちて錦を続(ツ)ぐ。」と。いささかに談咲に擬(ナゾラ)ふのみ。

思いもかけずありがたいお便りを頂きましたが、その文の筆のさえはまさに雲を凌ぐばかりです。加えて、和歌までこの私めにお恵みくだされましたが、これまたそのお言葉の綾たるやまるで錦を広げたようです。いくたびも、いくたびも吟詠しその度にあなた様への恋しさもはれる思いです。春はもとより楽しいはずの季節、なかんずく暮春・・・三月の風景はもっとも賞美するにふさわしい頃でございます。桃の花の紅は輝くばかり、浮かれた蝶が花々の間を舞い飛び、緑の柳はなよなよとその葉を揺らし、鶯は葉陰に隠れ可憐な歌声を聞かせてくれます。なんという楽しさでしょうか。君子との席を近づけ淡々と交わりにおいて、心通えば言葉はもはや無用の長物。ああ、何という楽しさ、何という素晴らしさ・・・まさに君子の語にふさわしいあなた様の深いみ心は賞でるに余りあるほどです。どうして想像できたでしょうか、蘭と蕙が草むらに隔てられるように、あなた様とお会い出来ず、琴も罇も用もないままに空しくこの良き季節を過ごし、自然の風趣が我々人間を軽く見るとは。恨めしいのはまさにこの点なのです。黙ったまま過ごすことはとても出来ません。俗なことわざに「藤を以ちて錦を続(ツ)ぐ。」とあるように、あなた様の秀作に私の駄作を続け、お笑いの種にとお示し致すだけです。

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