忽沈枉疾殆臨泉路仍作歌詞以申悲緒一首

忽沈枉疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首 并短歌

大君の 任(マ)けのまにまに 大夫(マスラヲ)の 心振り起し あしひきの 山坂越えて 天離(ザカ)る 鄙(ヒナ)に下り来 息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡(ナビ)き 床に臥(コ)い伏し 痛けくし 日に異(ケ)に増さる たらちねの 母の命の 大船の ゆくらゆくらに 下恋に いつかも来むと 待たすらむ 心寂しく はしきよし 妻の命も 明けくれば 門に寄り立ち 衣手(コロモデ)を 折り返しつつ 夕されば 床打ち払ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹(イモ)も兄(セ)も 若き子どもは をちこちに  騒き泣くらむ 玉桙(タマホコ)の 道をた遠み 間使も 遺るよしもなし 思ほしき 言伝て遣らず 恋ふるにし 心は燃えぬ  たまきはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに かくしてや 荒し男すらに 嘆き伏せらむ

右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌

十一月に池主殿が都より戻ってこられ、本来の任務に戻られた。これで越中の国府としては平常通りの業務が出来る。池主殿は和歌をよくするばかりではなく、漢詩も得意であると聞いている。これから、池主殿との交誼を結んで行く中で、そう言ったものも学んで行きたいと思っていた矢先、初めての越中の冬に体調を崩してしまった。大和とは比べものにならない冬の厳しさが越中にはあった。加えて、いかに国府の面々が快く迎え入れたとはいえ、新しき地においてその長たる立場でありつつけることは、やはり気苦労の種ではあった。書持の死も、私には痛手であった。

そして、年が明けて・・・本来ならば、ここで新しき年を言祝ぐような宴を催すべきであったのだろうが、それも出来なかった。国府の面々も私の体調を気遣ってか、そのような楽しみごとについては一切口に出すことはなかった。
一月半ば、いよいよ病は重篤なものとなった。来る日も来る日も続く高熱と、どうしようもない呼吸の乱れ・・・肺炎というやつか・・・私は死を覚悟した。そして死を思った私の脳裡をよぎったのは・・・母、妻、そしてまだ幼気な子ども達の姿であった。書持と私と続けて子を失う母の悲しみはいかばかりであろう。私の無事を祈りつつ帰りを待つ妻は・・・今頃、泣いて母親を困らせている子ども達は・・・私はあえぐ息の中、家族を思うていた。
ところで、聞けば、この歌の「母」が誰をさすのか、平成の御代においては若干の論議があるらしい。私を生んだ実の母なのか、それとも私を幼少の頃より育て上げてくれ、今なお我が義母「としてご健在でいらっしゃる大伴坂上郎女なのか・・・と。その答えは・・・・私がこの場で言うのは余りに無粋であるだろう。しばらくは平成の御代の諸賢の論議の種として提供しておこう。
二月に入り、十日を過ぎた頃。ようやく病はその峠を越えたようだ。次第に熱も下がり、まともに呼吸が出来るようになってきた。食事も次第に喉を通るようになった。まだ起きて外に出歩く等と言うことは出来そうもないが、書物を繰ることぐらいなら出来るところまでは回復してきた。
その時私が惹きつけられたのは、存命のおりの山上憶良殿からいただいた歌巻(この歌巻と父旅人から受け継いだ歌巻とをあわせ、我が歌巻の巻の五とした)にあった、「沈痾自哀文」であった。今の私の痛み、苦しみはまさにそこに書いてあるとおりであった。そして、その痛み、苦しみを通うに表現することも風雅の一端としてあり得ることなのだと実感した。
・・・私にも出来るであろうか・・・
まだまだ試作の段階である。人に見せるつもりはない・・・。その歌が誰に聞いてもらうか、どのように評価してもらいたいか、そんなことは考えずにこの歌を詠んだ。ただ自らの今の思い・・・感情を言葉に置き換えただけの歌である。けれども、他人に知らせないことを前提に歌を詠んでみて、ふと気がつくことがあった。
聞いてくれる誰かを想定しない、評価されることは初めから考えない・・・このような態度で歌に臨んだとき、意外にもそれまでの「いぶせき」思いが少しずつ解きほぐされ、心が晴れ晴れとしてくれることに気がついたのだ。他人の目を気にせずに、自分のその時々の思い、感情をつぶさに言葉に置き換えて行くというこの作業が意外に我が内側に滞る心の塵埃を払い落としてくれるのだ。
これも、「歌」というものに臨む一つの態度ではないか・・・
「歌」というものは、他人に思いを伝えたり、宴の場で大勢で楽しんだりするためだけのものではない・・・己の内面をのぞき込み、その作業を通して見えてくる想念を言葉に置き換えてみる・・・ただそれだけであっても充分に機能するものなのだ。私はこの歌を詠むことによってその事に気がついた。これからの「和歌」はこのような方向に進んでいっても良いのではないか・・・そんなふうに思えてならない。そして、その事に気がついたことは、この歌を詠んだ私にとっての大きな収穫であった。

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