大目秦忌寸八千嶋之館宴歌

大目秦忌寸八千嶋之館宴歌一首

奈呉の海人の釣する舟は今こそば舟棚打ちてあへて漕ぎ出め

右館之客屋居望蒼海 仍主人八千嶋作此歌也

 昨夜は実に楽しい夜であった。新しくこの越中の地に赴任した私を、主だった面々が快くむかえて下さっていることがあらためて実感することができた。それぞれが風雅を理解し、心優しく気遣いに富んだ方々ばかりである。これからの数年こういった方々とともに仕事ができるということはとても心強いことであるとともに、なにやら楽しげな予感さえ感じられてわくわくする思いである。

ところで、昨夜の宴において私が

馬並めて いざ打ち行かな 澁谿の 清き磯廻に 寄する波見に

と詠み、明日はその澁谿に海を見にいこうと誘いかけたところ「そりゃあいい・・・」と話が盛り上がった。時刻は「月かたぶ」く頃、夜明けは近かった。私たちは仮眠をとった後、空の白むのを待ちかねて「澁谿」へと「馬並めて」出かけていった。

「澁谿」に到着したのが早すぎたかと見えて、「海人」達はまだ船出前といった風情であった。以前、帝が伊勢へとお出ましになられたとき、私も内舎人として供奉する機会を得、海というものは初めてではなかったが、ここ越中の海は伊勢の海のように閉ざされてはいない。その雄大さといったら較べようもないものであった。一首、詠もうとも思ったのだが、まさに言葉が出てこない。自分には、まだこの海を表現するべき語彙が存在しない・・・そんな感覚であった。

・・・と、その時、秦殿が「ここに釣りする海人の船が見えたらもっと興趣があっただろうに・・・」と呟いた。私はまだそれがどのような光景なのか知らなかったので、ただ曖昧にうなずくだけであった。しばらく、その絶景に目を遊ばせた後、秦殿は居合わせた面々を自らの館へといざなった。朝からまだ何も食べていなかったので、朝食をご馳走しようというのだ。我々はそのお言葉に甘えることにして連れ立って秦殿のお宅にお邪魔した。

通された客間がまた絶景であった。部屋に居ながらにして、奈呉の蒼海が見渡せるのだ。我々は朝食を摂りながらしばし見とれていた。その時秦殿がこの歌を詠んだのだ。なんでも、ここの海人達は漁に出かけるとき、その船べりを強く叩き、大きな音を立てて行くのだという。秦殿の説明によれば、それには魔よけの意味があるのだという。これだけ広く波の荒い海に出てゆくのだから、こうやって漁の安全を願う気持ちはよく理解できる。すると、誰だったか・・・たしか池主殿か・・・が、自分は乗り組んだ複数の海人が息を合わせるために船べりを叩くのだと聞いたことがある、といった。私にはどちらが正しいのかは分からない。これからの長い国司としてこの地に留まっている間には「海人」達と言葉を交わすこともあるだろう。もし、その時このことを覚えていたのなら聞いてみようと思う。

題詞には「宴」とは書いたものの、昨夜からの続きでもあり、面々には少々お疲れの気配もあった。また、朝食を摂るといった程度の「宴」でもあったので、ここでは秦殿の歌に応えるものは誰もいなかった。まあ、秦殿もそれは余り期待をしてはいなかったであろう。ということで、この「宴」は程なく終わり、各々が三々五々自らの屋敷へと帰って行った。私が屋敷に帰ったときにはもう日はかなり高い位置にあった。

それにしても眠い・・・どうやら、今日は仕事になりそうもない。

 

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